所信表明2:僕とロック

いきなりですが、僕の中でボブ・ディランはとてつもなくロックです。

現在ひがしゆうじが採っている主なスタンスは弾き語りスタイルですが、本来の理想像に於いては、とてつもなくロック志向、あるいはバンド志向な自分が居ます。しかしながら自分のエゴは演奏面に於いては他人に強制すべきでないと現在は考えているので、自分が『バンド』を主催することは今までにありません。(自分が誰かのバンドに入ったり、仲間が自分のサポートをしてくれるのは能動的なことと捉えています。)

それはさておき、積極的にバンドを組まない理由がもう1つあり、それは独りでもロックをできる可能性があるのではないか、そして可能ならばぜひともそうしたいと言うことです。所信表明1と矛盾する点はあるかもしれませんが、自分自身の挑戦と考えています。

誰かが聞いたらおかしな奴と思われるかも解りませんが、いわゆる懐メロなどと言われている古き良き音楽が、ひがしゆうじにはとてつもなくロックンロールに聴こえるのです。そしてひがし自身はサザンオールスターズから音楽、ロックに入っていきました。
エレキギターを掻き鳴らして自らのロックを表現することには大いに賛同しますが、ロックが即ちエレキギターを掻き鳴らすという事ならば、それには大いに反対したいのです。そのロックというもの自体、皆目見当もつかないものではあるのですが。

ロックは体制と戦う人たちを勇気付け、その後の高度成長の背中を押し、音楽の力を社会に示してきました。かつて桑田佳祐氏が『ロックの子』という著書を発表しましたが、僕は今現在歌っているいち音楽人の端くれとして、言わば『ロックの孫』世代は、僕たちを助けてくれた音楽自体と戦っていかないといけないと考えました。果たして今の僕たちに音楽を奏でる資格があるのかと。ロックを形骸化して垂れ流しているだけではないかと、自分に問いかけて行きたいのです。

自分の中でもうひとつコンセプトを挙げるとすればこれかな、と書いてみました。
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